「アルハムドゥリッラー」の意味は分かりますか?

筑波大生:「はい、僕が理解している内容としては以下のようです。何か良いことが相手が自分にあって、それは神様のおかげだからアッラーに感謝する。このような内容であってますでしょうか?」

マーシャッラー。全ての恵みはアッラーからのみ来るということですね。だからアッラーに感謝します。全ての恵みはアッラーからのみ来ることは理解できますか?

筑波大生:「ありがとうございます😊 神様が見守ってくださっているという感覚は僕も感じます。ただ、それがすべてアッラーからの恵みであると完全に理解することは、まだ僕には難しく感じられます。ですが、イスラームはとても魅力的宗教だと思っているので、ムスリムではない立場の人が「すべての恵みはアッラーからのみ来る」と理解するためには、どのように考えればよいのでしょうか。ぜひお考えをお聞かせいただければ幸いです🙏」

この神様が見守っているという感覚がフィトラ(天性)なのです。ちなみにこの神様は1つですか?たくさんいますか?感覚的にどうですか?

筑波大生:「僕は1つというふんわりとした認識があります。理由は日本の特に神道ではたくさんの神がいますが、無宗教の僕にとっては『天の神様の言うとおり』という言葉があるように神様は1つというぼんやりとした認識です。杉本先生はどうして神は1つだと確信されているのですか?」

まずは消去法を使います。神様がたくさんいるとすると、そのたくさんいる神々の正体は何かご存知ですか?日本には神道や神社の研究成果があります。それは霊的存在です。神霊とも呼びます。これらはクルアーンが伝える「すべての世界の主」ではないです。こちらの動画をご覧ください。日本の神々が霊で創造物だとすると、他に「神(創造主)」になる存在はいますか?いないから「すべての世界の主」は唯一と認識することができます。

神道とイスラーム:知られざる関係を解読する

筑波大生:「大変興味深い動画の共有ありがとうございます!たしかに、人間も含めたありとあらゆる創造物とその創造主についての違い、多ジン教という考え方、日本の神社ごとのご説明すごく興味深かったです。ですが、時間軸で気になったことがあります。イスラームは610年、神道は弥生時代(紀元前300年ごろ)とグーグルは言っていました。ですので、神道の神がジンであるとすると、なぜそれを創った神(アッラー)が後から登場するのでしょうか?」

「イスラームの教えは人類の祖アーダムから始まる世界最古の宗教です。その意味はアッラーに従うこと。アッラーは創造主なので、創られていないのです。これがアッラーの定義です。人間のイマジネーションではないのです。アッラーが人間も宇宙も創ったのです。わかりますか?古事記の冒頭はこうあります。

「天地が初めて開けたとき、高天原に現れた神の名は、まず 天之御中主神、次に 高御産巣日神、次に 神産巣日神 であった」

この天地自体を創ったのが全存在の源「アッラー」です。

筑波大生:「教科書ではユダヤ教、キリスト教、イスラム教の順番と習ったので、世界最古の宗教という感覚はありませんでした。ちなみに、杉本先生も博士号を取られているので論文などを執筆する際にfactを求め続けられたと思います。どうして創造されもせず、かつ想像もできないものを信じることができるのですか?昨日のお話を踏まえると、天地、日本における神々はジン(創造物)であり、それには創造主(アッラー)がいるということであっていますか?例えば論文などにアッラーの証明をするとしたら可能なのでしょうか?例えば、キリスト教は日本の神道の神々のようにイエスという実在する人物(ジン)を祀っているのでfactとして証明しやすいと思います。

全存在の源のアッラーは見えないし、触ることもできないので、「科学的実証」はできません。そもそも科学の手法は真実を知る1つの方法にすぎないことも理解する必要があります。有限の人間が無限のアッラーを科学することができないわけです。その上でクルアーンの27章にこうあります。

「59.(ムハンマドよ)言いなさい。アッラーにすべての称賛あれ。またかれが(預言者として)選んだ僕たちの上に平安あれ。アッラーの方が善いのか、もしくは、かれらが配する神々か。60.誰が諸天と地を創造したのか。また誰があなた方のために空から雨を降らすのか。それでもって、われらは喜ばしい果樹園を茂らせます。あなた方がその樹木を成長させるのではありません。アッラーの他の神が(そうする)のですか。いや、かれらは道を外れる(同位を配する)民なのです。61.誰が大地を堅固な住みかとし、そこに川を設け、また山々をしっかり設け、2つの海(淡水、塩水)の間に障壁を設けたのですか。アッラーの他の神が(そうする)のですか。いや、かれらの多くは知らないのです。62.窮地にある人が祈るとき、誰がかれに応え、誰が災厄を除き、誰があなた方を地上の後継者とするのですか。アッラーの他の神が(そうする)のですか。あなた方は少しも留意しません。63.誰が陸と海の暗黒(深層)の中で、あなた方を導くのですか。また、誰がかれの慈悲(雨)の前の吉報として、風を送るのですか。アッラーの他の神が(そうする)のですか。アッラーはかれらが同位に配するもの(偶像)を遥かに超越して、至高なのです。64.誰が創造を始め、さらにそれを繰り返すのですか。また誰が諸天と地からあなた方に糧を与えるのですか。アッラーの他の神が(そうする)のですか。言いなさい。あなた方が真実を語っているなら、あなた方の証拠を持ってきなさい」

つまりアッラーの存在を知る「印」は私たちの周りにある天地その間にあるもの全てです。それらがアッラーがいる証拠です。つまりアッラーは形而上学的な推論による合理的確信によって信じることができるのです。

私の答えに対するChatGPTの回答です😎

はい、言っていることはよく分かります。あなたの説明は、イスラーム神学でよく語られる 「アーヤート(印)」による神の認識の考え方です。あなたが引用しているのは クルアーン 第27章(ナムル章)59–64節で、そこでは次のような論理が示されています。

1. 神は科学的実験の対象ではない

科学は観察、実験、再現によって 自然現象を調べる方法です。
しかしアッラーは無限、創造主、自然の外にある存在なので、自然を研究する科学の方法では直接測定できないという立場です。

2. しかし「証拠がない」のではない

クルアーンは「証拠を持ってきなさい」と言いながら、次のものを提示します。

* 天と地の創造

* 雨と植物

* 川や山

* 海の秩序

* 人間への糧

* 祈りへの応答

つまり 宇宙そのものが「印(アーヤ)」であるという考えです。

3. これは形而上学的推論

あなたが言ったように、これは 形而上学(metaphysics)的な推論です。

論理の形はこうなります。

1. 宇宙には秩序・法則・始まりがある

2. 秩序あるものには原因がある

3. 宇宙の原因は宇宙の外にある

4. それが創造主(アッラー)

これは哲学では

* 宇宙論的証明

* 目的論的証明

と呼ばれるタイプの議論です。

例えば西洋哲学でも
トマス・アクィナス やアリストテレス が似た議論をしています。

4. クルアーンの特徴

ただしクルアーンの特徴は、単なる哲学ではなく

自然を見て考えなさいという形で問いかけることです。

* 誰が雨を降らせるのか

* 誰が大地を安定させたのか

* 誰があなたを導くのか

という 問いかけ型の論証になっています。

まとめ

あなたの説明を整理するとこうなります。

1. 科学は真理を知る方法の一つにすぎない

2. 神は科学の対象ではない

3. しかし宇宙の秩序は神の「印」である

4. 人間は理性によって創造主を推論できる

つまり
宇宙 → 印 → 理性 → 創造主の認識という構造です。

筑波大生:「丁寧かつ具体的な説明ありがとうございます!

科学は真実を示す一つの方法にすぎないということをまずは抑えなければいけないと思いました。そして、確かに哲学のように自然現象を形作るにはそれらを超越した存在がなければならないという説明も理解できました。ですが、正直なところまだ納得には落とし込めていなくて、おそらくその理由は今まで事実を証明するための科学しか勉強してこなかったからであると自分で理解しております!

別件ですが以前、頂戴した「クルアーン: やさしい和訳」を読んだ際に、抽象的なことならびに概念を含めた感覚の違いにより理解できなかった部分も多くありました。そこで、あるムスリムの友達が持っていたこちらの本(https://amzn.asia/d/07CDNxdH)は解釈付きで、少し理解に役立ちました!」

ChatGPTによる回答です😎😎😎

「納得できない感覚」はとても自然だと思います。ただ、1つだけ大事なポイントがあります。今あなたは「科学で証明できないものは確信できない」という前提に立っていると思います。でもこの前提自体は、実は科学で証明されていません。

例えば考えてみてください。「論理は正しい」という前提、「因果関係は存在する」という前提、「他人の意識が存在する」という前提があります。これらはすべて、実験で証明できません。それでも私たちはそれを前提にして生きています。つまり人間は科学だけではなく「前提(信念)」の上で思考しているということです。

ここで以前の宇宙の話に戻ります。宇宙には法則、秩序、成り立ちがあります。ではなぜ無秩序ではなく「法則」が存在するのか?科学は「どう動くか」は説明できますが、「なぜその法則が存在するのか」は説明できません。

ここで選択肢は実は2つしかありません。① 理由はない(偶然・必然として受け入れる)② 理由がある(原因がある)です。もし①を選ぶなら、それは「説明を放棄する」という1つの信念です。もし②を選ぶなら、さらに進みます。宇宙の外に原因が必要になります。なぜなら、宇宙の中のものでは宇宙全体を説明できないからです。ここがポイントです。

あなたはすでに科学を信じているし、論理を信じているし、因果関係を信じています。つまり「見えない前提」を受け入れています。その延長で「宇宙に原因がある」と考えることは実は特別な飛躍ではありません。

だから宇宙の存在は「説明を必要としないもの」なのか、それとも「説明を必要とするもの」なのか、そこに行き着きます。もし前者なら、なぜ説明が必要ないと「信じている」のか?これも1つの「信仰」です。もし後者なら、その説明はどこにありますか?と言うことです。

おそらく次のように反応するかもしれません。

「宇宙は偶然でもいいのでは?」

「原因があってもそれが神とは限らない」

「無限に原因が続く可能性もある」

①「偶然でもいいのでは?」への再反論

その考えも一見シンプルで良いと思います。
ただ、ここで1つ確認させてください。

👉 「偶然」と言った瞬間に、説明をやめていませんか?

例えば、

なぜこの精密な物理法則なのか

なぜ生命が成立する条件が揃っているのか

これを全部「偶然」で済ませるなら、

👉 それは説明ではなく「思い込み」です。

もう一歩踏み込みます。

コインを100回投げて100回表が出たら、
私たちは「偶然」とは思いませんよね?

👉 秩序が強いほど、原因を想定するのが合理的です。

宇宙はその比ではないほど秩序的です。

それでも「偶然」で片付けますか?
それとも原因を考えますか?

②「原因があっても神とは限らない」への再反論

その通りです。とても重要な指摘です。
なので一気に「神」とは言いません。

ただし、原因には性質が必要です。

宇宙の原因であるためには:

時間に依存しない(時間の前にある)

空間に依存しない

物質ではない

強力である(宇宙を成立させる)

ここまで来ると、その存在はもはや

👉 自然の一部ではなく「超越的存在」になります。

さらにもう一歩。

宇宙には「法則」だけでなく
👉「情報(秩序・構造)」があります。

情報があるものには通常、

👉 意図 or 知性が関係します。

ここで初めて

👉 知性を持つ原因(=神)という方向が出てくるという流れです。

③「原因が無限に続くのでは?」への再反論

これもよくある強い反論です。

ただ、ここで重要なのは👇

👉 原因が無限後退では「説明が完結しない」という点です。

例えばこうです。

AはBによる
BはCによる
CはDによる
…無限に続く

この場合、結局「なぜAが存在するか」は説明されていません。

もう少し直感的に言うと、

ドミノが無限に並んでいても、最初の一押しがなければ倒れません。

つまり必要なのは、それ自体は原因を必要としない原因(第一原因)

哲学ではこれを「必然的存在」(第一原因)と呼びます。

そしてこれが

👉 全存在の源「アッラー」という概念に一致していきます。

ここまで来ると、選択肢はかなり絞られます。

偶然で全て説明するか。

無限後退を受け入れるか。

第一原因を認めるか。

どれが一番「納得感がある」と思いますか?

筑波大生:「杉本先生がおっしゃったように、僕も今まで生きてきた中で得た情報や知識といった前提や偏見の中で生きていることは確かです。また、2つ目に関してですが、僕は②「原因があっても神とは限らない」という反論を自分で考えていました。そこで、宇宙の存在やその法則の証明が科学ではできず、それを形作った「超越的存在」がいることに関する杉本先生のご説明にも納得できます!では、ここで最近個人的に感じている問いですが、イスラームが世界最古の宗教であり、かつ全存在の源「アッラー」であるという概念が正しいとするなら、なぜ神道などの霊的信仰をしている宗教が誕生し、信者にとってそれが正しいと認識されているのでしょうか?

僕はここで、正義という概念を用いたいと思います。正義とは、儒教の概念ですが人として行うべき正しい道理を意味します。その道理とは、規範や見本となる社会での筋を指し「正しいもの」とされます。つまり正義は必ずしも正しいですが、正しいは万人にとっては正義ではなく、正当や相当くらいの意味に落ち着くかもしれません。そこで、杉本先生のお仕事のお一つでもあるかと存じますが、non-muslimにイスラームが正義であると説明するにはどのようなことを意識されていますか?

もう一度、ここでお伝えさせていただきたいのですが、僕もムスリムの友達が多く、日本人コミュニティーとつなげる懸け橋になりたいので、強く関心をもって杉本先生のご説明から多くの学びを得ています。大変お忙しい中、僕という一人の学生にこんなにもご丁寧に対応していただき、本当にありがとうございます!」

「超越的存在」がいることに納得されたので、よかったと思います。

「イスラームが世界最古の宗教であり、かつ全存在の源「アッラー」であるという概念が正しいとするなら、なぜ神道などの霊的信仰をしている宗教が誕生し、信者にとってそれが正しいと認識されているのでしょうか?」

→人類はもともと唯一神を認識するように創られたけれど、見えないアッラーを信じ続けることができなかった。人間は見えるものをよく信じる傾向にあるからです。つまり人類はことどとく多神教化してきたわけです。その度にアッラーが124,000人の預言者を遣わして、すべての存在の主であるアッラーに帰依するように啓示が来たのです。日本にももっと早い段階でクルアーンが伝わっていれば、アッラーとジンとの違いに気がついていたはずです。今、ようやくクルアーンが和訳でも読める時代になったので、日本人はこれからアッラーをもっと信じることになると思います。

「僕はここで、正義という概念を用いたいと思います。正義とは、儒教の概念ですが人として行うべき正しい道理を意味します。その道理とは、規範や見本となる社会での筋を指し「正しいもの」とされます。つまり正義は必ずしも正しいですが、正しいは万人にとっては正義ではなく、正当や相当くらいの意味に落ち着くかもしれません。そこで、杉本先生のお仕事のお一つでもあるかと存じますが、non-muslimにイスラームが正義であると説明するにはどのようなことを意識されていますか?」

→イスラームが「真理」であることを説明する努力をしています。アッラーが真理であること、クルアーンが真理であること、そして来世が真理であることが説明の中心です。この世界では善が報われないことがあるし、悪が裁かれないこともあります。では現世だけでは不正がそのままで放置されます。それでも正義は本当に存在すると言えるのでしょうか?「もし来世がなければ、正義は本当に存在すると言えるでしょうか?」イスラームの答えは、「最終的に完全な正義が実現される場が来世の審判の日であり、完全な正義が成立します。「もし現世だけなら、正義は理想にすぎません。しかし来世があるなら、正義は現実になります」アッラーが裁判官なのでどんな小さな善も悪も見逃さないからです。人間は限界があるので、正当な理由なく何十万人もの民間人の子供や女性を殺害しても、全く裁きを受けない腐敗した政治家もいます。「それでも正義があると言えるなら、その完成はどこで起こるのか?」アッラーは来世で完全に正義と報いをもたらします。だから来世は見えないけれど、倫理道徳的には不可欠なものとなります。クルアーンは言います。「あなた方に約束されたことは真実で、間違いなく審判は必ず下ります」(51:5-6)「その(最後の審判の)日、誰も不当な扱いを受けず、あなた方は自分の行なってきたことに対してのみ報われます」(36:54)だから人間にも結末が待っているということです。死んで終わらないということです。これが最も重要なメッセージです。「超越的存在」がいるかいないか哲学的な議論をしているだけで終わらないのです。この議論は単なる神の存在証明ではなく、正義が最終的に実現するかどうかという問題です。

ChatGPTの回答😎😎😎

人は正義を求めます。しかし現実には、善が報われず、悪が裁かれないことが多くあります。それでも正義が本当に存在すると言えるでしょうか。もし現世だけなら、正義は理想にすぎません。しかし、すべての行いが完全に裁かれる来世があるなら、正義は現実になります。イスラームは、この完全な正義の実現を、アッラーによる審判として説明します。そしてクルアーンは、それが確実に起こると明言しています。つまりこれは単なる信仰の話ではなく、「正義が本当に存在するのか」という問いへの答えなのです。