日本においては2026年3月21日土曜日がイード・アル=フィトルになりました。CICCでのイード礼拝は4回実施し、少なくても合計1600人が礼拝に参加しました。

「ラマダーン月は人類の導きとして、また導きと(善悪の)識別の明証としてクルアーンが啓示された月です」(クルアーン2章185節)

なぜ私たちはクルアーンという啓示(すべての世界の主「アッラー」の言葉)を必要とするのでしょうか?

第1に、イスラームの観点からは、人間の限界を認識することから始まります。
人間である私たちの知識は常に限られています。


私たちは現実のごく一部しか観察できず、科学でさえも観察可能で測定可能なものに依存しています。したがって、現実の中には存在していても、現在の私たちの能力では捉えられない側面がある可能性があります。

第2に、私たちは完全に客観的ではありません。


私たちの理解は、背景や文化、個人的な経験によって形作られています。同じ事実を見ても、人々が全く異なる結論に至ることはよくあります。特に次のような問いに関してはなおさらです。「どのように生きるのが正しいのか?」「
何が道徳的に善であり、何が悪なのか?」

第3に、人間は欲望や利害にも影響されます。


たとえ何が正しいかを知っていても、必ずしもそれに従って行動するとは限りません。

この問題は、世界規模でも観察することができます。


例えば国際社会において、軍事介入や標的殺害のような行為が見られることがありますが、その正当性は必ずしも明確でも普遍的に合意されているわけでもありません。

各国は自国の利益に応じて異なる基準を適用することがあります。
その結果、「正しい」とされることや「正当化されること」は、立場によって大きく異なることになります。

ここで重要な問いが生まれます。

もし道徳的基準が人間の力や利害のみによって決まるのであれば、それは本当に安定した普遍的なものになり得るのでしょうか?

この観点から見ると、「人間が定義する体系だけでは、一貫した客観的基準を常に提供できるとは限らない」ことが分かります。

ここで重要なポイントです。

もし人間だけが善悪を定義するのであれば、その基準は常に変化してしまいます。
それは文化や社会、時代によって異なるものとなるでしょう。

イスラームの観点では、ここから重要な結論が導かれます。

人類には「人間の限界を超えたところからの導き(啓示)が必要である」ということです。

啓示は次のものを提供します:


①人間の主観を超えた視点


②安定した普遍的な道徳的枠組み


③絶えず変化しない導き

イスラームにおいて、この導きはクルアーンを通して与えられています。

「ラマダーン月は人類の導きとして、また導きと(善悪の)識別の明証としてクルアーンが啓示された月です」(クルアーン2章185節)

したがって、啓示は人間の理性を置き換えるためのものではなく、それを導き、完成させるためのものなのです。

全ての世界の主が人間を創造したので、人間にとって何が善で何が悪なのか最もよくご存知であるという信念がムスリムにはあります。

私たちは、クルアーンにある善悪の基準を学んで、そのルールを遵守する必要があります。それがアッラーに帰依・服従することなのです。

「信仰する人たちよ、あなた方以前の人たちに定められたように、あなた方に斎戒(さいかい)(断食)が定められました。あなた方は(アッラーを)意識することでしょう」(クルアーン2章183節)

本日は、ラマダーンにおける断食のより深い意味、そしてそれが人間に関するイスラームの世界観とどのようにつながっているのかを、あらためて考えてみたいと思います。

なぜ私たちには断食が必要なのでしょうか。

ラマダーンは、単に飲食を控えることだけではありません。
それは人間の心を鍛える訓練です。

この月の間、私たちは自らの欲望を意識的に抑えます。

できないからではなく、できるのに、あえてしないことを選ぶのです。
これこそが、イスラームにおける「人間であること」の本質です。

イスラームの世界観においては、人間は目的をもって創造され、
心と責任を与えられています。

ラマダーンは、私たちの心を、目先の欲望やこの一時的な現世に向けるのではなく、

アッラーと来世(アーヒラ)へと向ける訓練だったのです。

これは非常に大きな転換です。

なぜなら、人間がこの現世のためだけに行動するなら、衝突は避けられないからです。
なぜでしょうか。

この世界の資源は限られているからです。
土地も限られ、富も限られ、権力も限られています。

限られているものをめぐって、人は競争します。

そして競争が激化すれば、対立や、さらには戦争にまで至ります。

しかし、イスラームは異なる視点を示します。

この人生は終わりではなく、来世という永遠の命があると教えます。

そして来世においては、
資源は無限であり、
空間も無限であり、
報奨も無限です。

そして何より、それらすべてを与えるアッラーの御力は無限です。

このことを真に信じる者は、人生の見方そのものが変わります。

もはや他者を支配しようとする必要を感じなくなり、
この世のすべてを征服しなければならないとも思わなくなります。

なぜなら、奪い合う必要がないからです。
競争の根源にある「欠乏」への恐れから解放されるからです。

しかし現実の世界を見ると、どうでしょうか。

力ある国々が、自ら定めたはずの国際的なルールさえ守らず、
弱い立場の人々の権利が踏みにじられているという批判が存在します。

ここで私たちが問うべきことは、「誰が正しいか」という立場だけではありません。

本質的な問いは、
人間がどのような世界観に基づいて行動しているのか、ということです。

もし人が、「この世がすべてであり、資源は限られている」と考えるなら、
奪い、支配し、拡大しようとする動きは止まりません。

しかし、「来世があり、アッラーが無限の報奨を与える」と確信するなら、
人は不正や争いによって何かを得ようとはしなくなります。

だからこそクルアーンは、正義を命じます。
それは単なる理想ではなく、信仰から生まれるのです。

私たちムスリムは、どの国の側に立つか以上に、
アッラーの側に立たなければなりません。

不正には反対し、アッラーとの契約を守り、弱い者を助けます。

それが、この有限な世界において、無限を信じる者の生き方なのです。

「信仰する人たちよ、あなた方以前の人たちに定められたように、あなた方に斎戒(さいかい)(断食)が定められました。あなた方は(アッラーを)意識することでしょう」(クルアーン2章183節)

ラマダーンの断食は、心を鍛える訓練でした。私たちは有限な存在であり、この人生もまた限られているため、自分自身を抑えることを学びます。そして、アッラーが無限であり、来世(アーヒラ)もまた無限であるからこそ、私たちは共に結びつき、団結することができるのです。

ラマダーン月が気づかせてくれた3つのこと

皆さん、ラマダーンを終えた今、私たちは何をする日を迎えているでしょうか?

それは👉 アッラーに感謝し、その偉大さを称える日です。

1)私たちは常に何かに依存して生きていること

ラマダーンの1ヶ月間、私たちは

* 食べること

* 飲むこと

* 自分の欲望

を抑えてきました。

普段当たり前だと思っていた

👉 水一杯
👉 一口の食べ物

それがどれほど大きな恵みか、体で感じたと思います。

ここで大切な気づきがあります。

私たちは普段、👉 自分が生きていると思っています。

でもラマダーンは教えてくれました。

👉 私たちは「生かされている」存在だということを。

私たちは普段あまり意識しませんが、

人間は「自分一人の力だけで生きている存在」ではありません。

むしろ、私たちは常に何かに依存して生きています。

例えば、

* 空気がなければ数分で生きられない

* 水や食べ物がなければ数日で限界が来る

* 太陽がなければ生命は存在できない

* 地球という環境がなければそもそも存在できない

つまり私たちは生きているのではなく、「生かされている」存在です。

では、このすべてを与えているのは誰でしょうか?
アッラー(唯一の創造主)です。

クルアーン16章53節「あなたがたにあるすべての恩恵はアッラーからである」

だからイードの日、私たちは言います。

👉 アッラーフ・アクバル(アッラーは最も偉大である)

👉 私たちが依存しているすべてのものよりも、アッラーは偉大である

* お金よりも

* 仕事よりも

* 人間関係よりも

👉 すべての源である方が最も偉大である

2)だからアッラーに感謝すること

ここでもう1つ大切なのは「感謝」です。

👉 クルアーン14章7節「もしあなたがたが感謝するなら、われは必ず増やす」

感謝は人間にとても馴染みのある感覚です。

* 親に育ててもらったら感謝する

* 会社から給料をもらったら感謝する

* 誰かに助けてもらったら「ありがとう」と言う

これは自然な心、つまり、フィトラ(人間の本来の性質)です。

では考えてみてください。

* 命を与えてくれた存在

* 空気・水・太陽・地球すべてを与えてくれた存在

そのアッラーに対して、感謝するのは自然なことです。

イスラームにおける「感謝」とは、言葉で「ありがとう」と言うだけではありません。

👉 本当の感謝とは、その方の意志に従うことです。

なぜなら、すべてを与えている方こそ、最も正しく導く存在だからです。

実は人間は生まれる前に、創造主が唯一であることを認める契約(原始契約)を結んでいるとされています。

クルアーン7章172節「あなたの主がアダムの子孫から、その背中から子孫の一部を取り出し、彼ら自身に証言させたことを思い出せ。『わたしはあなたがたの主ではないか』と言ったとき、彼らは言った。『はい、証言します』復活の日に『わたしたちはこれを知らなかった』と言わないためのものです」

しかし人は、

* 忘れてしまう

* 自分を過信する(高慢になる)

* 他のものに依存してしまう(お金・地位・人間など)

こうして本来の感謝の対象を見失います。

だからこそ、この人生は👉 テスト(試練)として与えられています。

クルアーン67章2節「死と生を創られたのは、あなたがたを試すためである」

そしてイスラームははっきり言います。

👉 人生は死んで終わりではない

その先に

* 天国(永遠の報酬)

* 地獄(責任の結果)

があると。

3)そして来世をめざす仲間の輪を広げること

少し視点を変えてみましょう。なぜ人間は争うのでしょうか?

* 資源

* 領土

* お金

* 地位

👉 すべて「限りがあるもの」を奪い合うからです。

国同士でも、個人同士でも、家族内でも、時には同じムスリムコミュニティの中でも争いが起きます。

ではどうすればいいのでしょうか?

ルールを作る、法律を作ること?

もちろん大切ですが、

👉 人間は完全には守れません。

イスラームはここで、視点を変えます。

👉 「現世」ではなく「来世」に意識を向ける

👉 争いがない来世をゴールにする意義

天国では、クルアーン50章35節「(天国には)彼らには望むものがすべてあり、さらにわれのもとに増し与えるものがある」

* 報酬は無限

* 欠けることがない

* 奪い合う必要がない

つまり、争いの原因そのものが存在しません。しかも平和は永続します。

クルアーン87章16-17節「あなたがたは現世を好むが、来世の方がより良く永続する」

だからこそ、本当に平和を望むなら、天国を目指す生き方をするという考え方になります。

また人は1人では正しく生き続けることができません。

なぜなら私たちは弱い存在だからです。

* 忘れる

* 流される

* 欲望に負ける

そしてそこに入ってくるのが、シャイターン(悪魔)です。

預言者 ﷺ はこう言いました。「狼は群れから離れた羊を襲う」

つまり、1人でいる人ほど狙われやすいということです。

さらに預言者は言いました。「シャイターンは1人の人間と共にあり、2人でいると遠ざかる」

だからこそ大切なのは、コミュニティ作りです。

👉 一緒に礼拝し

👉 一緒に学び

👉 一緒に食事し

👉 一緒に助け合う

👉 あなたがコミュニティを作る一員になる意識

クルアーンでもこう命じられています。

クルアーン9章119節「アッラーを畏れ、真実な者たちと共にいなさい」

つまり、天国を目指す人たちと一緒にいなさいということです。

私たちが

* アッラーを忘れる人たちといれば、私たちも忘れる

* 現世ばかりの人たちといれば、私たちも引っ張られる

逆に、アッラーを思い出させてくれる仲間といれば私たちは守られる

ラマダーン月のタラウィーフ礼拝や断食は正しい仲間といれば、来世のために続けられることを思い出させてくれました。

クルアーン18章28節「朝夕、主を求める者たちと共にいなさい」

良い仲間とは

* アッラーを思い出させる人

* 正してくれる人

* 同じゴール(天国)を目指す人

今日のイードという日を

* 食べる日ではなく

* アッラーに感謝する日にしましょう

アルハムドゥリッラーヒラッビルアーラミーン