「今日では技術信仰が広まっているが、その正しさの証拠は、技術においてついに絶対的で疑う余地のない中性的な土壌が見出されたと信じることができたことだけに基づいている。というのは一見したところ技術ほど中性的に思えるものはないからである。技術はあらゆるものに奉仕する。たとえばラジオはあらゆる種類のあらゆる内容の報道に利用される。郵便は発送されたものをその内容にかかわらず配達する。郵便事業の運営技術からは、配達されるものの内容の評価や判定に関わるいかなる基準も取り出すことができない。神学的な問題や形而上学的な問題、道徳的な問題やさらには経済的な問題も、どれも永遠に論争の絶えないような問題であるが、純粋に技術的な問題には、どこか心をすっきりさせるような即物的なところがある。技術的な問題は明証的な形で解決できるのであり、他のあらゆる領域の解決不可能な問題から逃れるために、技術性の領域が利用されたのは、大いに理解できるところである。この技術性の領域においてはあらゆる民族と国民が、あらゆる階級と宗派が、あらゆる年齢と性別の人々がすぐにでも合意することができるように思われる。なぜならば技術的な快適さのもたらす利益と便宜は、すべての人が同じ自明さをもって享受しうるものだからである」カール・シュミット『政治神学』(2021年、日経BP)232-233ページ
カール・シュミット(Carl Schmitt)の「政治神学」を理解するうえで重要なのが、近代社会における「中性化(Neutralisierung)」の過程です。シュミットにとって問題なのは、単に「技術が発達した」ということではありません。むしろ、宗教的・文化的・精神的な問いを、技術によって「価値判断を必要としない問題」に変えてしまったことです。
1. 「中性化」とは何か
シュミットは『政治神学』(1922年)で、ヨーロッパの思想史を、神学 → 形而上学 → 道徳・人文主義 → 経済 → 技術という「中心領域(Zentralgebiet)」の移動として捉えました。つまり、かつて社会の中心にあった問い、つまり「神とは何か」「世界の本質とは何か」「人間はどう生きるべきか」が、「どう生産・分配するか」「どうすれば効率的に実現できるか」へと移りました。そして最後に「技術」が中心になると、「何が善いのか」という問いより、「何が可能なのか」「どう実現するのか」という問いが優先されるようになったのです。ここにシュミットの危機意識があります。
2. 技術は「中立」なのか
技術そのものは、善でも悪でもありません。だからこそ、あらゆる目的に奉仕できるという点です。例えば、同じ技術が、人間を救うためにも使える、人間を管理するためにも使える、教育にも使える、宣伝にも使える、医療にも使える、戦争にも使えるのです。つまり技術は「何を目的とするべきか」について答えてくれません。技術が答えるのは、「どうやって実現するか」です。しかし人間社会にとって本当に重要なのは、「そもそも、それを(どこまで)実現すべきなのか?」という問いです。
3. 宗教が「技術」に置き換わる
宗教は「何が善か」「何が悪か」「人間とは何か」「何のために生きるのか」「人間は誰に従うのか」という問いを扱います。ところが技術中心の社会では「正しいか?」よりも「経済的か?」が重要になります。さらに「神にとって正しいか?」ではなく、「科学的に可能か?」「経済市場価値あるのか?」「データ上、最適か?」「システムとして効率的か?」という判断に変わっていきます。この意味で、技術は宗教を直接否定しなくても、宗教を社会の中心から追い出すことができます。
4. 「魂」まで中性化される
ここから「魂(Seele)」の問題が出てきます。宗教や文化が弱体化すると、人間そのものも、人格 → 機能、魂 → データ、信仰 → 情報、道徳 → ルール、共同体 → ネットワーク、人間 → システム上の一単位として扱われやすくなります。シュミット自身が現代のデジタル社会を論じたわけではありません。しかし彼の「中性化」という概念を現代に応用すると、この問題が非常に見えやすくなります。例えば、「この人は善い人間なのか?」という問いが「この人は社会にどれだけ生産性があるか?」に置き換わります。あるいは「この教育は人間をどういう存在にするのか?」ではなく「この教育はどんな技能を身につけさせるか?」になります。つまり、人間の「目的」が消えて、人間の「機能」だけが残るのです。
5. シュミットが「中性化」を危険視する理由
シュミットは単純に「技術は悪だ」と言っているわけではありません。むしろ「中立的な技術」によって、価値対立そのものを解決したと思い込むことを問題にしています。例えば、現代世俗社会は「宗教と世俗の対立がある」→「宗教を政治から排除すればよい」→「科学・技術によって客観的に決定しよう」という前提にあります。つまり、宗教や道徳、思想による価値判断は、人によって異なるため、いつまでも論争が続きます。それに対して、科学や技術は「誰が正しいか」ではなく、「何が可能か」「どのように実現できるか」という問題に集中できます。そのため、価値観の対立を避け、「中立的な技術」を発展させることこそ、社会を前進させる最も建設的な方法であると考えられるようになります。科学技術は実際に、私たちの生活を大きく改善してきました。医学、通信、交通、情報技術など、その恩恵は計り知れません。
「とは言いながら技術の中立性には、これまでのあらゆる領域における中立性とは異なったところがある。技術とはたんなる道具であり、武器であって、万人に奉仕するものである。しかしそれだからこそ、技術は中立的なものとはいえないのだ。技術的なものの固有性からは、人間的で精神的ないかなる決定も生まれないのであり、ましてや中立性を目指す決定も生まれないのである」カール・シュミット『政治神学』(2021年、日経BP)234-235ページ
技術は「何ができるか」には答えられても、「何をすべきか」には、それ自体では答えられません。さらに重要なのは、技術が単なる道具にとどまらず、社会そのものの構造を変えていくことです。ある技術が「便利だから」という理由で普及すると、やがて「使えるのに、なぜ使わないのか」という圧力が生まれます。最初は単なる選択肢だった技術が、次第に社会の標準となり、人間の行動や価値観を規定するようになります。こうして、「価値対立を避けるために導入した中立的な技術」が、逆に新しい社会的・人間的な規範を形成していくのです。
問題は、技術を価値中立的なものとして扱い、技術が発展すれば、人間社会の問題も自然に解決されると思い込んでしまうことにあります。技術が発展するほど、私たちは問わなければなりません。「それは可能なのか」ではなく、「それを(どこまで)行なうべきなのか」という問いです。そして最後には、さらに根本的な問いが残ります。「何を基準にして、誰が行なうべきか否かを判断するのか」ここで、科学技術だけでは完結しない、人間の価値・倫理・宗教・世界観の問題が再び現れてくるのです。
6. ここに「政治神学」がつながる
シュミットの有名なテーゼは「近代国家の重要な概念は、世俗化された神学的概念である」というものです。例えば、神 → 主権者、奇跡 → 例外状態、神学的秩序 → 政治的秩序という対応関係を彼は分析します。つまり、近代社会が「宗教から解放された」と言っていても、実際には宗教的な構造を別の形で残している可能性があります。だから「宗教を捨てて技術に置き換えれば、完全に中立的な社会になる」という考えは幻想です。例えば、AI、デジタル通貨、監視システム、遺伝子技術、バイオテクノロジーなどを考えると、技術そのものについて「できるか?」という問いは比較的明確です。しかし「してよいのか?」は別問題です。さらに「誰が決めるのか?」という第三の問題があります。シュミット的に言えば、ここで政治的決断が消えるわけではありません。むしろ「技術的に決定された」と見せることで、政治的決定を隠すことが起こり得えます。これは非常に重要なポイントです。
7. iPS細胞という具体例
この問題意識を非常に分かりやすく示しているのが、iPS細胞です。2006年、山中伸弥教授らはマウスの体細胞に4つの遺伝子を導入することで、人工多能性幹細胞、すなわちiPS細胞を作製することに成功しました。2007年にはヒトiPS細胞の研究成果も発表されました。当時、iPS細胞は画期的な基礎科学の成果でした。しかし、20年後の2026年、その技術がどこまで広がったでしょうか。再生医療だけではありません。創薬、疾患研究、オルガノイド、いわゆる「ミニ臓器」、ゲノム編集との組み合わせ、生命現象の研究、そして、若返りや超長寿、人類の生命進化の謎を研究する領域にまで広がっています。2026年11月7日にNHKが放送したiPS細胞スペシャルでは、京都大学iPS細胞研究所(CiRA)の高橋和利准教授自身も、2006年当時、iPS細胞がここまで多くの研究者に使われ、多様な使い方をされる技術になるとは想像していなかったと振り返っています。特に、iPS細胞から細胞が自ら組織化し、オルガノイドという臓器に近い構造を作る技術については、「20年前には想像もできなかった」と述べています。これは非常に重要な事実です。なぜなら、ここには科学技術の本質的な特徴が現れているからです。
2026年現在、iPS細胞はすでに基礎研究だけの段階を超えています。2026年3月には、日本でiPS細胞を用いた再生医療等製品2製品が条件・期限付きで承認されました。一つはパーキンソン病を対象とした神経細胞の製品で、もう一つは重症心不全を対象とした心筋細胞の製品です。NHKの「視点・論点」でも、iPS細胞の医療応用の現在地として紹介されています。しかし、ここで重要なのは「医療に役立った」という事実だけではありません。iPS細胞の可能性が再生医療を超えて、若返り、超長寿、さらに人類の生命進化の謎に迫る研究へと広がっていることが紹介されました。つまり、2006年の発見→再生医療→創薬→オルガノイド→生命現象の操作・理解→若返り→超長寿→生命進化の研究というように、一つの科学的発見から、次々と新しい可能性が開かれています。そして、その先に何があるのかは、現在の私たちにも完全には分かりません。
「現在でも多くの人々が、技術的な完全性を実現することで、人間主義的で道徳的な進歩が実現されることを期待しているとすれば、それは呪術的な形で技術と道徳を結びつけるものである。現代の技術という素晴らしい道具が、その本来の意味においてのみ、すなわち社会学的な形だけで利用されるに違いないというかなり素朴な前提に基づいたものである。この前提は人間がこの実り多い武器を思うがままに利用することができ、この武器によって生まれる途方もない力を自分のものにすることができると想定するものである」カール・シュミット『政治神学』(2021年、日経BP)236ページ
8. ここに「中性化」の本当の問題がある
科学技術は「これは可能か?」という問いに答えます。しかし「これは人間が行なうべきなのか?」という問いには、科学技術そのものは答えません。たとえば、iPS細胞によって病気を治療することには大きな意義があります。しかし「人間の老化をどこまで遅らせるのか」「人間の寿命をどこまで延ばすのか」「生命をどこまで人工的に設計するのか」「人間の身体をどこまで改変することが許されるのか」という問題に進んだとき、これは単なる科学技術の問題ではありません。そこには、人間とは何かという哲学的・宗教的問題が現れます。そしてさらに、人間は何をしてよいのかという倫理的問題が現れます。ところが、技術が発達すればするほど、「できること」が先に増えていきます。そして人間は、その後から「それをするべきなのか」を考えることになります。
9. 技術は人間より先に走り始める
技術社会の特徴は、できるようになってから考えることです。もちろん、すべての科学者が無責任に技術を発展させているわけではありません。iPS細胞の医療応用にも、安全性、製造、品質管理、臨床試験、規制など、非常に厳しい検討があります。山中教授自身も、2026年の時点で、再生医療製品の承認は「ハーフ地点」に過ぎず、これからさらに大きな課題があると述べています。しかし技術そのものの「可能性」が消えるわけではありません。一度発見された技術は、世界中の研究者が研究します。企業が応用します。投資家が資金を投入します。国家が政策として支援します。他の技術と組み合わされます。そして、最初の研究者が想像していなかった方向へ進んでいきます。つまり、科学技術は自己増殖します。一つの発見が次の発見を生み、次の技術がさらに新しい技術を可能にします。人間は技術を作ります。しかしある段階を超えると、「技術が人間の次の選択肢を規定する」ようになるのです。
10. AIはこの問題をさらに加速させる
この問題をさらに加速させているのがAIです。iPS細胞の場合、研究者が実験を行ない、結果を分析し、新しい仮説を立てます。AIの場合、研究、分析、コード生成、情報検索、シミュレーションなどの一部をAIが高速化できます。さらにAIエージェントは、単に情報を提供するだけではなく、複数の作業を組み合わせて自律的に実行する方向へ発展しています。この変化は、技術の発展速度そのものを変える可能性があります。つまり、人間 → 技術という一方向ではなく、人間 → AI → 新しい技術 → 新しいAI → さらに新しい技術という循環が始まる可能性があります。そうなれば、技術発展の速度は、人間の倫理的・宗教的判断の速度をはるかに上回る可能性があります。
11. 「抵抗し難いシステム」の形成
技術は、単独では存在しません。技術は制度になります。制度は社会インフラになります。インフラは生活そのものになります。一度社会全体がその技術に依存すると、人間はそれに「反対する」ことが難しくなります。AIを使わないという選択は、個人としては可能です。しかし、企業、学校、医療、金融、行政、物流、教育など、社会のあらゆる領域がAIに依存するようになれば、AIを使わないという選択そのものが社会的に困難になります。同じことは生命科学にも言えます。ある技術が医療の標準となれば、それを利用しないことが「非合理的」と見なされます。つまり、技術は強制しなくても、人間に選択を迫ることができるのです。「これを使わなければ社会についていけない」「これを受けなければ治療を受けられない」「これを使わなければ仕事ができない」という状況が形成されれば、それだけで人間の自由は狭くなります。中性化とは、単に価値観をなくすことではありません。価値判断を必要としないように見える巨大な技術システムを作り、そのシステムに人間が適応せざるを得なくなることでもあるのです。
12. AIによる個人情報の問題
近年、AIは単なる情報処理の道具ではなく、「サイバー攻撃・ハッキングの自動化」にも利用され始めています。2025年には、Anthropicが、AIエージェントを利用して約30の組織を標的としたサイバー諜報活動を公表しました。攻撃では、偵察、脆弱性の探索、認証情報の取得、ネットワーク内での移動、データ分析など、攻撃の複数の段階がAIによって自動化されていました。ここでは、AIは単なる「道具」ではありません。AIが人間の攻撃能力を拡張し、場合によっては人間が一つ一つ操作しなくても、大量の対象を探索することが可能になります。つまり、技術が人間の能力を単純に増幅するだけではなく、人間が個別に行なうことが不可能だった規模の活動を可能にするのです。ここでも技術が先行する危険があります。
「しかし技術そのものは文化的には、いわば盲目なのである。そのため純粋な技術そのものからは、これまでの精神生活の中心領域から引き出されてきたような帰結は、まったく取り出すことができない。すなわち文化的な進歩の概念も、学者や精神的な指導者の類型も、特定の政治的なシステムの類型も、そこから取り出すことはできない」カール・シュミット『政治神学』(2021年、日経BP)236-237ページ
13. 技術は「可能性」を与え、イスラームは「方向」を与える
イスラームは科学技術や知識を否定する宗教ではありません。問題は「科学技術を何のために使うのか」です。iPS細胞によって病人を治療できるなら、その技術は人間の生命を守るために使うことができます。AIによって病気を早期発見できるなら、それも人間を助けるために使うことができます。しかし、同じ技術が、人間の監視、操作、搾取、差別、生命の商業化にも使われる可能性があります。だからこそ、技術には倫理が必要です。そしてイスラームにおいて、その倫理は単なる人間の都合だけから生まれるものではありません。人間はアッラーに対して責任を負っています。したがって、技術は「何が可能か」を広げます。しかし、イスラームは「何をなすべきか」を問い続けます。
14. AI・iPS時代のイスラーム教育
イスラームの視点では、人間はアブドゥ・アッラー(アッラーに服従する者)です。したがって「何を生産できるか」より先に「何のために生きるのか」があります。そしてハラールとハラームも「市場で売れるか」「技術的に製造可能か」「効率的か」では決まりません。最終的には、アッラーが許されたものか、禁じられたものかという規範に置かれます。ここでは、技術が目的を決定するのではなく、目的に服従することになります。ここから、イスラーム教育の使命が見えてきます。これからの教育は、単にAIを使える人材を育てるだけでは不十分です。必要なのは、正しく価値判断できる人間です。そのために何が善で何が悪かの基準を知る必要があります。そして全世界の創造主アッラーの善悪の基準が記されているのが「クルアーン」なのです。
15. 結論
AIがますます高度になり、生命科学がますます強力になり、社会のあらゆる領域が技術によって結び付けられていくとき、私たちは一つの根本的な問いに直面します。「人間は技術を支配するのか。それとも技術によって人間の生き方が決められるのか」そして、そのさらに深い問いは「技術が人間の可能性を拡大するとき、人間の目的を誰が決めるのか」ということです。シュミットの「中性化」が私たちに突きつけているのは、まさにこの問題です。技術は中立に見えます。しかし、技術が社会の構造そのものになったとき、それは人間の選択肢、価値観、生活様式、そして最終的には「人間とは何か」という理解そのものを変えていく可能性があります。だからこそ、AI時代、生命科学時代に必要なのは、単に「もっと高度な技術者」を育てることではありません。必要なのは、技術を使うことができ、それでいて正しい価値判断ができる人間です。人間は自ら作り出したシステム(自己)の奴隷になるために創造されたのでもありません。人間はアッラー(善の創造主)のしもべとして生きるために創造されたとイスラームでは教えます。21世紀において、イスラーム教育が守るべき最も重要なものは、単なる知識ではありません。それは、「人間の価値の中心を、技術からアッラー(善)へ戻すこと」なのです。人間はどこまで行っても価値判断から逃れらません。NHKのiPS細胞を扱った番組の最後に、タモリ氏が「人間が試される」という趣旨の言葉を述べていました。この一言に、実は現在の科学技術文明が抱えている問題の核心が凝縮されていたと言えるでしょう。クルアーンには次の言葉があります。「すべての人間は死を味わいます。われら(アッラー)は試練として悪と善で、あなた方を試みます。そしてわれらに帰されるのです」(21章35節)
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