イスラームの原理はとてもシンプルです。創造主「アッラー」の他に崇拝に値するものはないということです。この原理はユダヤ教およびキリスト教と共通しています。

唯一無二の神「アッラー」の定義はクルアーン112章「純正章」に明確に記されています。

①「彼はアッラー、唯一なる御方であられる」

→文字通り、アッラーは唯一

②「アッラーは自存され」

→アッラーは他の助けなく唯一自ら存在される

③「御産みなさらず、御産れになられたのではない」

→アッラーには親も子もない

➃「彼に比べ得る、何ものもない」

→人間にはアッラーを偶像化できない(同位・同類者がない=無二)

聖書の基本的教義は、イエスを神の子として崇めることでも、イエスが犠牲の死を捧げることでもありません。実は、教会が教える「三位一体」や「贖罪」という言葉そのものは、聖書に一切の記載がないのです。しかもイエスは教会の言葉に従いなさいなどと教えていません。

聖書によると、イエスの教えは、モーセに啓示された律法を人々に徹底させることでした。「私〔イエス〕が律法や預言者を廃するためにきた、と思ってはならない。廃するためではなく、成就するためにきたのである。よく言っておく。天地が滅び行くまでは、律法の一点、一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。それだから、これらの最も小さい戒めの一つでも破り、またそうするように人に教えたりする者は、天国で最も小さい者と呼ばれるであろう。しかし、これをおこないまたそう教える者は、天国で大いなる者と呼ばれるであろう」(マタイによる福音書5章17~19節)イエスは預言者としてモーセの律法〔戒め〕を全うするために遣わされたのであり、彼に従う者は天国における成功を収める、と述べられています。

「すると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて言った、『わが師よ、永遠の命を得るためには、どんな善いことをしたらいいでしょうか』イエスは言われた、『なぜ善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はただひとり〔神〕だけである。もし命に入りたいと思うなら、戒めを守りなさい』」(マタイによる福音書19章16~17節)

では「ただひとり〔神〕」が定めた「戒め」とは具体的にどのような内容なのでしょうか。

イエスは答えられた、『第一の戒めはこれである、イスラエルよ、聞け。主なるわたしたちの神は、ただひとりの主である。心をつくし、精神をつくし、思いをつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ。第二はこれである、自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ。これより大事な戒めは、ほかにない』」(マルコによる福音書12章29~31節)

「永遠の命とは、唯一の、まことの神でいますあなたと、また、あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることです」(ヨハネによる福音書17章3節) 

これらをまとめると、

第1に「唯一神」を信仰すること

第2に「隣人愛」を実践すること(お手本としてイエスを知ること)

→永遠の命(=天国)となります。

唯一神信仰については、「旧約聖書」と「新約聖書」の別を問わず、多くの言葉が記されています。ユダヤ教だけではなく、キリスト教も唯一神を崇拝していることがわかります。次に証拠の一部を順不同に紹介しましょう。

このようにイスラームの原理とユダヤ教・キリスト教の原理は共通しています。その原理はとてもシンプルです。創造主(唯一神)の他に崇拝に値するものはないということなのです。

ある人は思うかもしれません。「ユダヤ教やキリスト教における唯一神がアッラーならば、なぜ彼らの聖典にもアッラーという言葉が記されていないの?」と。実は記されている(いた)のです。例えば、サイラス・インガーソン・スコフィールド〔1843〜1921年〕他、8名のキリスト教神学博士によって共編されたスコフィールド聖書(1909年)(オックスフォード大学出版会)によれば、旧約聖書の出だし、「はじめに神〔エローヒム〕は天と地とを創造された」(創世記1章1節)の注釈(注1)として、以下の記述があります。

このようにキリスト教徒が従うべき「旧約聖書」と「新約聖書」およびムスリムが従うべき「クルアーン」には唯一神の御名として「アッラー(アラー)」が記されているのです。

クルアーンの内容を日本語で読みたい方は、以下のリンクから入手可能です。

スキマ時間で学ぶ大人のイスラーム講座:

申請フォームはこちら☞ https://forms.gle/jA4sKzTaJbhz4K637

クルアーンやさしい和訳を無料配布します:https://forms.gle/6uS28x5KWSQoWGmy9

Amazonでも購入可能です:www.amazon.co.jp/dp/4336063389