ムスリムは人間だから罪や過ちを犯します。たとえ学者でも過ちを犯します。したがってある学者がある意見を述べたところで、それは世界のムスリムの総意や合意を意味しません。例えば、ある日本の学者や有名人やインフルエンサーが何かを発言したとしても、その意見がそのまま日本人の総意や合意にならないと同じです。あくまでも個人的な意見です。一方、原典クルアーン(アッラーの言葉)に従うことは世界のムスリムの総意・合意です。そこに異論を唱えるムスリムはいません。なぜならムスリムは「アッラーに従う人」を意味するからです。

クルアーンによると「他者との共存・共生」の観点は以下の章節から知ることができます。

「人びとよ、われら(アッラー)はひとりの男とひとりの女からあなた方を創り、様々な種族と部族に分けました。それはあなた方が、互いに知り合いになるためです。アッラーの御元で最も貴い人は、あなた方の中、最も(アッラーを)意識する人です。確かにアッラーは、全知にして、あらゆることに通暁しています」(49章13節)

創造主アッラーによると、世界中に多種多様な人間がいる理由は、「互いに知り合いになるため」とあります。もちろん、この広大な全宇宙を創造したアッラーが望めば、人類を単一の民族のみに創造することは造作もなかったことでしょう。しかし、あえてそうしなかったところに英知があるのです。

「あなた方にはあなた方の宗教があり、わたしにはわたしの宗教があるのです」(109章6節)

またアッラーは、人間の信仰や思想にしても、各人が選べるようにしたわけです。もしアッラーが望めば、全人類の思考を完全に1つに統一管理もできたでしょう。しかし、あえてそうしなかったところに英知があるのです。

「(ムハンマドよ)言いなさい。啓典の民(ユダヤ教徒とキリスト教徒)よ、わたしたちとあなた方との間の(次のような)共通の教え(の下)に来なさい。わたしたちはアッラーにのみ仕え、何ものをもかれに並置いたしません。またわたしたちはアッラー以外に、自分自身を互いに主として奉ることはしません。それで、もしかれらが背き去るなら、言いなさい。わたしたちはムスリム(アッラーに従う人)であることを実見しなさいと。啓典の民よ、なぜあなた方はイブラーヒーム(アブラハム)のことで議論するのか。律法と福音はかれの後に下されたのです。あなた方には分からないのか」(3章64-65)

ただし、人類がバラバラのままでは良くありません。戦争や紛争が解決されません。そこでアッラーは人間に契約書をもたらしたのです。それが「共通の教え」である啓典です。

イスラームとは「創造主アッラーに従うこと」を意味します。これは「アッラーとの『契約』を遵守すること」とも理解できます。現在ユダヤ教徒には「旧約聖書」があり、キリスト教徒には「旧約聖書」と「新約聖書」があります。「旧約」とは神との「旧い約束(契約)」のことで、「新約」とは神との「新しい約束(約束)」のことです。この意味で、クルアーン(コーラン)は「完約聖書」とも言い換えることができます。つまり「唯一神であり創造主アッラーとの約束(契約)が完了した書」という意味です。確かに、現存する旧約聖書や新約聖書は、ムーサー(モーセ)やイーサー(イエス)に啓示された原典のタウラート(律法)やインジール(福音)と同一ではありません。例えば、イエスの母語はアラム語ですが、アラム語の聖書は現存していないか所在不明です。クルアーンは、ユダヤ教徒やキリスト教徒の一部が原典を改変・隠蔽したことにも言及しています。代表的な章句をいくつか挙げます。

「あなた方(信者)は、かれら(ユダヤ教徒)があなた方を信じることを期待するのでしょうか。かれらの一派はアッラーの言葉を聞き、それを理解した後わかっているにもかかわらず、それを改変してしまうのです」(2章75節)

「(しかし)かれら(ユダヤ教徒)は、アッラーがかれらの隠すことも、現わすこともご存知であることを知らないのでしょうか。また、かれら(ユダヤ教徒)の中には、啓典を知らない非識字者がいます。かれらは虚しい願望を持って臆測するだけです。自分の手で啓典を書き、わずかな対価を得るため、これはアッラーから啓示されたものですと言う人には災いがあるでしょう。かれら(ユダヤ教徒)の手で書いたものに災いがあり、かれらが稼いだものに災いがあるのです」(2章77-79節) 

「かれら(ユダヤ教徒)の中にはある一派がいます。かれらはかれらの舌で啓典をゆがめ、それが啓典からのものであるとあなた方が思うようにするのです。でもそれは啓典からではありません。そしてかれらは、これはアッラーの御元からだと言います。でもそれはアッラーの御元からではありません。かれらは知っていながら、アッラーについて虚偽を語るのです」(3章78節)

「ユダヤ教徒たちには(啓典の)言葉の位置を歪めて言う人がいます。わたしたちは聞いても従わない、(あなたは)聞かされていないことを聞け、ラーイナー(わたしたちを見ろ)と、かれらの舌を歪め、宗教を鼻で笑うのです。もしかれらが、わたしたちは聞き従います、(あなたは)聞きなさい、ウンズルナー(わたしたちを見てください)と言うなら、かれらにとってより良く正しいのです。かれらは不信心なので、アッラーがかれらを拒否したのです。かれらはわずかしか信仰しません」(4章46節)

このように、人間は本来、神との契約を遵守すべきはずが、人間の都合で契約書を改変・隠蔽したことに対し、神が戒めている内容になっています。しかし、ユダヤ教徒とキリスト教徒が従うべき「旧約聖書」とムスリムが従うべき「クルアーン」は、原理において共通点があります。それが「十戒」(モーセの十戒の石板で有名)です。この十戒(十の戒め)の内容は、以下のようにクルアーンにも記されています。

「旧約聖書」出エジプト記20章3節〜(⼗戒)

第1の戒め:「わたしのほかに何ものをも神としてはならない」→唯一神の信仰

クルアーン2章163節:「あなた⽅の神は唯⼀の神(アッラー)です。かれの他に神はなく、慈悲あまねく慈悲深いお⽅なのです」

第2の戒め:「⾃分のために刻んだ像を作ってはならない」 →偶像崇拝の禁止

クルアーン4章48節:「本当にアッラーは、 かれに並置されることは赦しません」

第3の戒め:「あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない」→神を冒涜しないこと

クルアーン7章180節:「かれ(アッラー)の美名を冒涜する⼈たちは放っておきなさい」

第4の戒め:「安息⽇を覚えてこれを聖とせよ」→安息日(労働禁止の日・時間)の遵守

クルアーン62章9節:「合同礼拝の⽇の礼拝の呼びかけが唱えられたならば、アッラーを念じることに急ぎ、商売から離れなさい」→毎日5回の礼拝を安息時間として1週間に均等に配分しています。金曜日の合同礼拝は長めの安息時間になっています。

第5の戒め:「あなたの⽗と⺟を敬え」

クルアーン4章36節:「親孝⾏しなさい」

第6の戒め:「殺してはならない」

クルアーン25章68節:「慈悲深きお⽅の僕(しもべ)は、正当な理由がない限り、アッラーが禁じた殺⽣をしない⼈たちです」

第7の戒め:「姦淫してはならない」→結婚外性交渉の禁止

クルアーン17章32節:「姦淫に近付いてはいけません。それはみだらな⾏為で悪い道なのです」→強姦も当然禁止

第8の戒め:「盗んではならない」

クルアーン2章188節:「⼈びとの財産の⼀部を⾷いつぶしてはいけません」→贈収賄も禁止

第9の戒め:「偽証してはならない」

クルアーン4章135節:「信仰する⼈たちよ、正義を守り、アッラーに向けて証⾔をしなさい。たとえあなた⽅⾃⾝や両親、そして近親に不利な場合でも」

第10の戒め:「隣⼈の家をむさぼってはならない」→他人の所有物を欲しがることの禁止

クルアーン4章32節「アッラーがある人に、他よりも多く与えたものをうらやんではいけません」→さらに踏み込んで、嫉妬への批判がなされています。

このようにユダヤ教徒とキリスト教徒が従うべき「旧約聖書」とムスリムが従うべき「クルアーン」は、原理において共通点があるのです。クルアーンの内容を日本語で読みたい方は、以下のリンクから入手可能です。

スキマ時間で学ぶ大人のイスラーム講座:

申請フォームはこちら☞ https://forms.gle/jA4sKzTaJbhz4K637

クルアーンやさしい和訳を無料配布します:https://forms.gle/6uS28x5KWSQoWGmy9

Amazonでも購入可能です:www.amazon.co.jp/dp/4336063389