Mahyeldi Ansharullah(マヘルディ・アンシャルラ)氏は、現在も「ブヤ・マヘルディ:Buya(イスラームの知識を持つ教師・宗教指導者への敬称)Mahyeldi」と呼ばれ、宗教教育や社会福祉について語り続けています。マヘルディ氏は、インドネシア・西スマトラ州ブキティンギで生まれました。裕福な家庭ではなく、父親は人力車の運転手や市場での荷物運びをしていました。マヘルディ氏は幼い頃から家族を助けるために働きながら学び、大学進学のためのお金も自ら貯めました。
アンダラス大学ではイスラームを深く学び、学生時代から「ムバッリグ(イスラームの教えを人々に伝える説教師)」として地域でイスラームを伝える活動を始めました。その後もイスラーム教育とダアワ(イスラームの教えを伝える活動)に携わりながら政治の世界へ進み、州議会議員、パダン市副市長、パダン市長を経て、2021年に西スマトラ州知事に就任しました。政治家になってからイスラームを学び始めたのではなく、イスラームを学び、人々に伝えてきた人物が政治・行政の道へ進んだことが、マヘルディ氏の人生の大きな特徴です。
『Sepenggal Kisah Perjuangan Sang Da’i』は、マヘルディ氏自身が著者として刊行した2018年の著書です。タイトルは、「1人のダーイー(イスラームの教えを伝える人)の歩みの一節」という意味です。この本は、マヘルディ氏が政治家になる以前から続けてきたイスラーム活動やダアワ(イスラームの教えを伝える活動)という側面を理解するうえで重要な1冊です。要点は以下の通りです。
1)イスラームを伝えることを人生の使命とする:マヘルディ氏にとってダアワは、政治家になってから始めた活動ではなく、それ以前から続けてきた人生の一部です。
2)ダーイーとは、単に説教する人ではない:ダアワは、単に壇上で話すことだけではありません。人びとに寄り添い、困っている人を助け、自分自身が模範となることも含まれます。イスラームのダアワでは、言葉だけでなく、行動や人格による模範が重要だとされています。
3)ダアワには忍耐が必要:すぐに相手がイスラームを理解したり、受け入れたりするとは限りません。そのため、ダーイーには忍耐、誠実さ、そしてアッラーへの信頼が必要です。
4)人を批判するのではなく、人の心に届く方法を考える:ダアワでは、相手を怒らせたり、見下したりするのではなく、相手の状況を理解し、知恵と良い言葉によって伝えることが重要です。
5)ダアワと人への奉仕はつながっている:イスラームを伝えることと、社会の中で人びとに奉仕することは別々ではありません。貧しい人、病気の人、困っている人に寄り添うことも、ダーイーの重要な役割です。
6)最終的な成功はアッラーから来る:ダーイー自身が結果を生み出すのではなく、自分は努力して伝え、導きはアッラーに委ねるという考え方が重要です。
クルアーンの教えは人間に規律を与えます。例えば、言葉遣いに失礼がないこと (クルアーン3:159)、怒りを抑えること (3:134)、親孝行すること(17:23)、約束を破らないこと (2:177)、信頼を守ること(2:283)、客人を良くもてなすこと (51:26)、宗教を強制してはいけないこと (2:256)、殺し合ってはいけないこと (4:92)、暴飲暴食しないこと (7:31)、姦淫(レイプも含む)に近づいてはならないこと(17:32)、清潔を保つこと (9:108)などです。ある日本人ノンムスリムはクルアーンを全然知らないのに、SNS上で、やたらとイスラームを批判します。これは外国人が日本食を全く食べたことがなく、全く知らない状態で、日本食を批判しているようなものです。ムスリムであるということは、クルアーン(アッラーの言葉)に従う人を意味します。従っていなければ、そもそもムスリムではないのです。有名なハディースがあります。
アブー・フライラによると、預言者ムハンマド(アッラーの祝福と平安あれ)は言いました。「姦淫をする者が姦淫を行なっている時、その者は信者ではない。また、酒を飲む者が酒を飲んでいる時、その者は信者ではない。また、盗みを働く者が盗みを行なっている時、その者は信者ではない。また、人々が見ている前で強盗を働く者がその強盗を行なっている時、その者は信者ではない」(サヒーフ・アル=ブハーリー2475)※「信者ではない」は、その罪を犯している瞬間に完全なイーマーン(信仰)が失われているという意味であり、罪を犯しただけで直ちに非信者になったという意味ではありません。姦淫も、飲酒も、盗みも全て大罪です。つまり、レイプ犯は、レイプをしている時は、そもそもムスリムではない(クルアーンに従っていない)状態になっているわけです。だから、犯罪はあくまでも罪を犯したその人が批判されるべき対象であり、イスラームを批判することは全くの的外れであることがわかります。日本人も毎日のように犯罪を犯しています。だからと言って日本の法律を批判しても全くの的外れでなのです。また過度に一般化してムスリム全体を批判することも、また的外れであることがわかります。もしイスラームを批判したいならクルアーンを読んで何が書かれてあるのか知りましょう。そして真理・真実を知るのです。



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