近年、日本社会では外国人、とりわけイスラームやムスリムに対する排外的な言説が目立つようになっている。これは単なる外国人政策をめぐる意見の対立として片づけることのできない問題である。なぜなら、根拠の乏しい情報によって特定の集団を「危険な存在」「日本社会を脅かす存在」として描くことは、社会の中に「われわれ」と「彼ら」という境界を作り、排外意識やナショナリズムを強化する働きを持つからである。

ここで重要なのは、こうした排外主義が、単に外国人を攻撃するだけの現象ではないということである。外国人を社会の「敵」として位置づける言説が広がれば、人々は自分たちの社会を守るために、より強い国家、より強い国境管理、より強い治安政策、さらにはより強い軍事力を必要と考えるようになる可能性がある。したがって、外国人へのヘイトと安全保障政策の変化は、それぞれ独立した現象としてではなく、社会意識の変化という観点から関連づけて考える必要がある。

主張1:2025年7月の参院選は、日本における排外主義の大きな転換点となった

その一つの重要な転換点が、2025年7月の参議院選挙である。2025年の参院選では、「日本人ファースト」などのスローガンが大きな注目を集め、外国人政策が急速に政治的争点となった。例えば、慶應義塾大学の座談会でも、日本の政治的風景が「7月の参院選あたりから様変わり」し、「外国人問題」がにわかに政治的争点となり、社会にも広がったとの指摘がなされている。 (慶應義塾大学)

また、2025年7月8日には、外国人・難民・民族的マイノリティーの人権問題に取り組む複数の団体が、参院選における排外主義の拡大について緊急共同声明を発表した。声明では、「外国人が優遇されている」という根拠のない主張が選挙戦で拡散されていることが問題視された。 (ヒューライツ大阪)

さらに、選挙期間中には「外国人が増えると犯罪が増える」「外国人が医療や生活保護を濫用している」といった誤情報がSNS上で拡散したことも報告されている。つまり、外国人をめぐる問題が単なる社会政策上の論点から、「日本人対外国人」という構図を伴った政治的動員のテーマへと変化したのである。

主張2:外国人への攻撃は、具体的にムスリムにも向けられている

この排外主義の問題は、外国人一般にとどまらない。イスラームとムスリムも、その具体的な標的となっている。その象徴的な事例が、大分県日出町のムスリム向け土葬墓地問題である。日出町では、別府ムスリム教会によるムスリム向け土葬墓地の計画が進められてきたが、町有地の売却をめぐる政治的対立が起こり、2024年の町長選挙では計画の中止を訴えた候補が当選した。その後も火葬のみを求める条例改正などをめぐって議論が続いている。 (ひじ町公式サイト)

もちろん、土葬墓地について衛生、環境、土地利用、地域住民との合意などを議論すること自体は正当である。しかし、問題はそこに「外国人が日本を乗っ取る」といった外国人脅威論や、イスラームそのものへの敵意が結びついた場合である。この段階になると、議論の対象はもはや個別の墓地計画ではない。「ムスリム=日本社会への脅威」というイメージが形成されるからである。

主張3:事実に基づかない外国人脅威論は、「敵」を作ることで社会を動員する

ここで最も重要なのは、ヘイト言説が社会に及ぼす政治的効果である。「外国人が優遇されている」「外国人が犯罪を増やしている」「外国人が日本を乗っ取ろうとしている」「外国人の宗教や文化が日本社会を破壊する」といった主張が、十分な事実的根拠なしに繰り返されれば、外国人は個人としてではなく、「日本社会の外部から来た集団」として認識されるようになる。

そこでは、われわれ=日本人VS 彼ら=外国人という単純な二分法が形成される。そして「彼ら」が危険だと認識されれば、「われわれ」を守るために国家がより強くなることを求める心理が生まれる。

この構造は、必ずしも外国人問題だけに限定されない。外部の敵を強調することによって内部の結束を強めることは、歴史的にナショナリズムと結びついてきた。したがって、外国人を恒常的に「脅威」として描く政治的言説には、単なる差別以上に、社会を「敵と味方」に分ける機能がある。

主張4:排外主義は、軍事的ナショナリズムを受け入れやすい社会環境を作る可能性がある

ここで、現在の日本の安全保障政策との関係を考える必要がある。日本政府は2022年の国家安全保障戦略で「反撃能力」の保有を決定し、従来よりも遠距離から相手国に対処する能力を整備する方向へ政策を転換した。また、防衛力整備計画では、スタンド・オフ・ミサイル、宇宙、サイバー、電磁波、無人装備などを含む広範な防衛能力の強化が進められている。

政府はこれをあくまで日本の防衛と抑止力強化のための措置として説明している。しかし、社会の側から見ると、軍事力を強化するためには、それを支える政治的・心理的環境も必要になる。

そこで、「日本は外国人によって脅かされている」「日本を守らなければならない」「日本人を第一に考えるべきだ」という意識が強まれば、国家の防衛力強化を肯定する心理的土壌が形成される可能性がある。

外国人を脅威として描く

「日本人」と「外国人」を対立させる

ナショナリズムを強化する

「日本を守る」という意識を高める

強い国家・強い治安・強い軍事力への支持を得やすくする

このような連鎖が生じ得るのである。

ここで重要なのは、「排外主義を広げている勢力が、最初から戦争を起こす目的で活動している」と直ちに断定することではない。そのような意図を証明するためには、具体的な組織、指示、資金、発言などの一次資料が必要だからである。

しかし、意図が証明されていなくても、政治的効果を分析することはできる。外国人への敵意を煽る言説は、結果として社会を「われわれ」と「彼ら」に分断し、国家への忠誠や集団的防衛意識を強める可能性がある。そして、それは軍事力の拡大を支持する社会的環境と親和性を持つ。

2023年12月から2025年6月までに、在日米軍人による日本人女性への性的暴行事件が8件送致され、4件が起訴されている。埼玉や藤沢で、ムスリム・イスラームに対する排斥運動を行っている特定のグループが、なぜ同じ熱量で「日本人女性に対する米軍人の性暴力」を取り上げないのか。最近も2026年5月23日、共同通信が、2026年4月に沖縄本島で、在沖縄米陸軍所属の20代男性兵士が日本人の女性に性的暴行を加え、さらに暴力を振るって負傷させた疑いで、沖縄県警が5月22日付で書類送検したと報じている。では、埼玉や藤沢などでムスリムを標的にして「外国人から日本人女性を守れ」と主張している特定の活動家・グループは、この事件に対して何をしているのか。もし彼らが外国人による日本人女性への犯罪を理由に、ムスリムや外国人という集団そのものを敵視するのであれば、なぜ米軍人による同様の犯罪について、同じ論調・同じ規模・同じ熱量で米国人や米軍を標的にした排斥運動を行わないのか。

問題は「外国人への差別」だけではなく、社会全体がどこへ向かうのかである

したがって、現在の日本における外国人へのヘイト、とりわけムスリムに対する排外的言説は、単なる差別問題としてだけ捉えるべきではない。2025年7月の参院選を前後して、外国人政策が急速に政治的争点化し、根拠の乏しい外国人脅威論が拡散したことは、複数の人権団体や研究者、メディアによって指摘されている。 (ヒューライツ大阪)

そして、そのような言説がムスリムなど具体的な少数者に向けられるとき、「外国人=脅威」「イスラーム=危険」というイメージが社会に定着する危険がある。さらに、国家が安全保障政策を強化し、より大きな軍事的能力を持とうとしている時期に、社会の中で排外主義とナショナリズムが同時に強まるのであれば、私たちは両者の関係を慎重に検討しなければならない。

もちろん、これだけをもって「外国人へのヘイトは、戦争をするために意図的に作られている」と断定することはできない。しかし、少なくとも次の問いを社会に投げかけることはできる。

外国人を「敵」として描くことによって、誰が利益を得るのか。「日本を守る」という意識が、どこまでナショナリズムや軍事力の拡大と結びついているのか。そして、外国人やムスリムに対する根拠のない恐怖を煽ることが、結果として戦争を受け入れやすい社会を作ってはいないか。

戦争は、武器や軍隊だけによって準備されるものではない。社会の中に「敵」を作り、恐怖を共有し、「われわれ」を強く意識させることも、戦争への心理的な地ならしになり得る。だからこそ、外国人やムスリムに対するヘイトを単なる「過激な言論」として見過ごしてはならない。それが事実に基づく議論なのか、それとも社会に敵を作り出すための言説なのかを、一つ一つ検証する必要がある。そして、外国人への差別を止めることは、単に外国人を守るためだけではない。「敵を作らなければ国家を守れない」という社会そのものを作らないためでもある。

「専守防衛」から日米共同の軍事的役割拡大へ

近年、日本政府は「専守防衛」を基本方針として掲げながらも、従来よりはるかに広い範囲で有事への対応能力を整備している。単に日本国内を防衛するための装備を整えるだけではなく、反撃能力、長射程ミサイル、宇宙・サイバー・電磁波領域、日米共同作戦、公共インフラ、経済安全保障、情報、人材などを含め、国家全体を有事に対応できる体制へと変化させようとしている。

この変化を理解するうえで、第一の証拠となるのが、2022年12月に策定された「国家安全保障戦略」である。政府はここで「反撃能力」の保有を明記した。政府自身の定義によれば、反撃能力とは、日本に対する武力攻撃が発生した場合、必要最小限度の自衛措置として「相手の領域において」有効な反撃を加えることを可能にする自衛隊の能力である。政府は、これを専守防衛の変更ではなく、武力攻撃の三要件を満たした場合に限って行使できる自衛措置だと説明している。(内閣官房)

しかし、ここで重要なのは、従来の日本の防衛政策との違いである。日本は長年、敵国の領域を直接攻撃する能力を政策として保有してこなかった。ところが現在は、政府自身が「相手の領域」における反撃を可能にする能力を保有すると明記し、そのための長射程ミサイルなどを整備している。したがって、日本の軍事能力が質的に変化していることは否定できない。

第二の証拠は「防衛力整備計画」である。政府は2027年度までに、日本への侵攻が起きた場合、日本が主たる責任をもって対処し、同盟国等の支援を受けながら侵攻を阻止・排除できる防衛力を構築するとしている。さらに、おおむね10年後までには、より「早期かつ遠方」で侵攻を阻止・排除できる能力を目標としている。(防衛省)

その具体的内容には、スタンド・オフ・ミサイル、極超音速兵器、無人アセット、宇宙、サイバー、電磁波、AIを活用した情報収集・分析、輸送・補給能力、弾薬・誘導弾の増加、防衛施設の強靱化などが含まれている。また、米国製トマホークを含む外国製の長射程ミサイルの導入も明記されている。(防衛省)

第三の証拠は、日米同盟そのものの変化である。外務省は2026年の説明で、日米同盟について、日本の平和と安全だけでなく「アジア太平洋地域の平和と安定」のために抑止力・対処力を強化すると明記している。また、ミサイル防衛、サイバー、宇宙、海洋安全保障など、協力分野を拡大している。(外務省)

さらに日米防衛協力の指針を見ると、日米の軍事協力は日本が直接攻撃された場合だけに限定されていない。「日本周辺地域における事態」で日本の平和と安全に重要な影響を与える場合についても、日米協力が規定されている。その中には、日本による米軍への施設提供、民間空港・港湾の使用、物資・燃料の提供、国内外の輸送、米軍装備の整備、情報交換などが含まれている。(外務省)

ここから重要な問題が生じる。

日本の安全保障政策は、もはや「日本が攻撃されたら日本を守る」という単純な構造だけではない。日本は、米国と共同して周辺地域の有事に対応するための情報・兵站・輸送・施設・指揮統制・軍事能力を整備している。そして、日本自身の軍事能力についても、より遠距離から相手の侵攻戦力を阻止・排除する能力を強化している。

もちろん、政府はこれを「アメリカの戦争をするため」とは説明していない。政府の公式説明は一貫して「抑止力」「日本の防衛」「日本の平和と安全」「地域の平和と安定」である。また、政府は反撃能力について、武力攻撃が発生していない段階で自ら先に攻撃する「先制攻撃」は認められないと明記している。(内閣官房)

しかし、政策の公式目的と、その政策が生み出す軍事的機能は区別して考える必要がある。日米防衛協力の仕組みが深化し、日本が米軍の活動を支える施設、港湾、空港、輸送、補給、情報などの能力を整備し、さらに日本自身も長射程ミサイルなどの能力を持つようになれば、日本が米国の軍事作戦を支援・補完する能力は確実に高まる。その意味では、日本が米国の戦略的軍事行動を支援する「代理的・補完的な軍事的役割」を担う可能性が、従来より大きくなっていると分析することができる。

第四の証拠は、軍事だけではない。「総合的な国力から安全保障を考える有識者会議」が2026年にも開催されている。内閣官房は、外交力、防衛力、経済力、技術力、情報力、人材力を「総合的な国力」と位置づけ、公共インフラ、研究開発、サイバーセキュリティ、経済安全保障、同志国の抑止力向上などを含めた政府横断的な安全保障体制を検討している。2026年4月から8月にかけても会議が開催されている。(内閣官房)

つまり現在進んでいるのは、単なる「自衛隊の装備増強」ではない。国家全体を有事に対応できるように再編する動きである。

第五の証拠として、防衛装備移転政策も挙げられる。政府は2026年4月、「防衛装備移転三原則」とその運用指針を改正した。政府自身が、同盟国・同志国の「抑止力・対処力」を強化し、日本にとって望ましい安全保障環境をつくるため、防衛装備移転をさらに推進することが重要だと説明している。(内閣官房)

これらを総合すると、日本の安全保障政策には明らかな方向性が見えてくる。

① 反撃能力の保有
② 長射程・スタンド・オフ・ミサイルの整備
③ 宇宙・サイバー・電磁波を含む多領域軍事能力の強化
④ 日米共同作戦・情報共有・兵站・輸送の強化
⑤ 米軍が日本の施設・港湾・空港などを使用するための体制
⑥ 経済・技術・インフラ・情報・人材を含む総合的な安全保障体制
⑦ 同盟国・同志国への防衛装備移転の拡大

という一連の政策が同時に進んでいるのである。

したがって、現在の日本を「戦争をする国になった」と単純に断定するよりも、「専守防衛を公式には維持しながら、より遠距離からの攻撃能力、反撃能力、日米共同作戦能力、兵站能力、そして国家全体の有事対応能力を強化し、従来よりも広い軍事的役割を担える国家へと変化している」と表現する方が、政府資料に基づいた分析として正確である。

そして、この変化をどう評価するかは別の問題である。政府の立場から見れば、これは中国、北朝鮮、ロシアなどを念頭に置いた「抑止力の強化」である。一方、批判的な立場から見れば、日米同盟の一体化が進むことで、日本が米国の地域戦略により深く組み込まれ、日本が自国防衛を超えて米国の軍事行動を支援・補完する役割を担う危険性が高まっていると評価することもできる。

重要なのは、どちらか一方の政治的主張から出発するのではなく、政府自身が公開している制度、法律、軍事計画、日米防衛協力の仕組みを確認したうえで、その結果として日本の軍事的役割がどこまで拡大するのかを考えることである。その意味で、現在の日本で起きていることは、単なる「防衛費の増額」ではない。戦後日本の安全保障政策そのものの構造的な転換として捉える必要がある。